謎の人達
最初のアメリカ人に関する新たな発見  (続き)

 
「中国の影響」

 このストーリーへの補足として、そして、アメリカ大陸への人の定着に関して正統派の学者たちの間で交わされる同意が急速に崩壊しているひとつの象徴として、1990年代後半に学会で沸騰し始めた論争がある。それは、古代中国と古代アメリカ文明 (特にオルメカ文明と商(殷)) の間に文化的つながりが存在した可能性についてである。この見解の主な提唱者は、米国のオクラホマ中央大学外国語学部で教鞭をとる許輝(マイク・クシー)教授と、中国歴史研究所の陳漢平(チェン・ハンピン)である。

 『USニュース&ワールドレポート』で公表された記事とインターネット掲載記事によれば、許は「中米で最初の複雑な文化は、商(殷)王朝末期に難民として海を渡って逃れてきた、一団の中国人の助けを借りた上で出現したかもしれない。オルメカ文明は紀元前千二百年頃に発生したが、それは周の武王が商最後の支配者である紂王を討ち、商王朝に終焉が訪れた時期と一致する」と信じている。([リンク 4])

 許はまた、古代の文字の形に関する「一触即発の」証拠を有するとも伝えられている:

 「過去三年以上に渡り、彼はオルメカ文明の陶磁器、翡翠(ひすい)加工品、彫像の実際の標本写真に、約百五十の象形文字を発見した。彼自身でも古代中国の辞書にざっと目を通すと同時に、彼はこれらの模様のデッサンを中国本土の古代文字専門家たちのもとに持ち込んで検証させた。彼らのほとんどが、それらが中国の甲骨文字や青銅器の碑銘中で使用される文字に酷似していることに関して、意見の一致をみた。『当初、専門家たちは皆、海外の人工遺物に対して見解を与えることはできないと言って、私を追い払おうとした』許輝は回想する。しかし、彼のしつこい懇願の果てに、彼らは不承不承少しだけ目を通すことにした。許のデッサンを見るなり、彼らは皆こう尋ねた『この碑銘は中国のどこで見つかったものかな』:アメリカ大陸に由来するものだと聞いた時、彼らは皆唖然としていた。『これらの碑銘が中国の遺跡で見つかったものなら・・・』本土の歴史研究所の研究仲間である陳漢平は語る、『それらは確実に、秦王朝以前の時代に使われたシンボルであると見なされるだろう』」 [リンク 4])

 他の学者たちからのリアクションは、ほとんどがみな敵対的なものだった(参照 [リンク 4] )。ここに掲載するのは、米国リーハイ大学の中国語助教授C.コックのいくつかの反論の要旨である−

 「『USニュース&ワールドレポート』11月4日版pp 46-8において、陳漢平が中国のものと同定したオルメカ文明の碑銘文字に関し、何人かが私の所見を掲げるようにと依頼してきた。オルメカ文明の文字と商の甲骨文字との間に類似が見られると陳が信じた部分を複写した記事を、私はついに目にした。

  1.  陳が抽出した文字は中国語ではない。それらは、いくつかの古代中国の文字あるいは文字の一部と、いつらかの書体的類似性を帯びてはいるが、しかし、一組の文字だけでは無に等しく、彼が挙げた等価性は存在しない。それは偽りである。
  2.  明かに、陳が抽出した文字/象形文字は、「碑銘」全体の情況において考慮されるべきものである。この文様の残る部分にところどころわずかな類似性しかなければ、これは不可能である。実際、オルメカ文明の「筆記文字」は全く言語を表わしていない可能性がある。しかし、ナーシーやその他ウルの筆記文字は、実際の言語の転写というより、物語のためのひとつの暗号である。他方で、商の甲骨文字は非常に高度であり、間違いなくひとつの筆記体系に属すものとしての資格を有する。
  3. 最後に、「碑銘」とは彫像が生まれた情況において考慮されなければならない。商の時代の芸術に、時折、人間の顔を表現したものがある他は、彫像と言えるようなものはほとんど存在しない(翡翠を刻んだ人物像がいくつかあるが、これらはひざまずいており、しばしば切り込みがつけられ、動物の装飾や入れ墨、あるいは衣服などで覆われている)。ある有名な銅像に、動物の口の中に入ったシャーマンのような人物像があるが、しかし、オルメカ文明の代表的なものとの類似点は何も存在しない。
  4.  修正点: 『USニュース&ワールドレポート』の記事は、陳が古代の碑銘に通じた学者として、世界でもおよそ十二人しかいない一流の権威であると主張する。第一に、陳は全く取るに足りない学者である。次に、商の文字を解読できる学者は米国だけでも十二人を越え、中国その他にはさらに大勢が存在する」 [ リンク5(英文)]

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