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とっぴもない仮説と驚くべき可能性: 塹壕からの眺め
神の刻印
私の「既存のものに代わる歴史」シリーズで最初の著作は、1992年に出版された『神の刻印』(凱風社)だった。この本は、失われた聖約の箱【アーク】の最後の安息の地はエチオピアであるとの主張に基づいて1980年代に長期の調査を試みてきた成果だった。私はいかなる意味でも道徳的使命にかられてこの本に臨んだわけではない。それに、私を引き付けたのは、誰も適切に伝えてこなかった面白い言い伝えに遭遇したジャーナリトとしての本能だった。私はこの逸話を伝えることを決意した。
私が『神の刻印』の調査を行っている間に、人生を変えるような出来事が数多く私の身にふりかかり、そのほとんどはこの本の中で報告されている。私はサンサと出会った−後に私の妻となった女性である。彼女の提案に従って、私は、1980年代に満喫していたソマリア政府やエチオピア政府との道義的にうさんくさい商取り引きを放棄した。戦争の間、私は砂漠と山々を横断する旅をした。そしてついには、聖櫃【アーク】の礼拝堂の門の前にたたずんでいた。全身黒ずくめの敬虔な修道僧に、中に入るのを拒絶されただけだったが。
この間、私はかつて決して理解したことがない何かを学んだ。
それは、正統派のアカデミックな歴史が、部分的もしくは完全に誤っている可能性のある(可能性という事を強調しておきたい)過去の仮説にその基礎を置いているということである。この仮説は次のような重要な要因を含んでいる−
1. 地球上の生命は数十億年前「原始のスープ」から偶然出現した。
2. 生命は絶えず進化を続け、より複雑で洗練された種を生みだしてきた。
3. ついには、人類の直接の祖先となる類人猿のような生き物が現われた。
4. この「ヒト科」の動物は何百万年にもわたって絶えず進化を続け、最終的に現世人類であるホモ・サピエンスが12万年前から4万年前のどこかの時点で出現した。
5. 現世人類は過去4万年にわたって重要な肉体的進化を示していない。しかしながら、人類社会は絶えず進化を続け、原始的な狩猟採集生活者である「洞穴人」から、約8千年前には初めて農業を営む定住生活が試みられ、さらに大きな村が形成されて、そして約5千年前にはついに「都市」の発展を見るに至った。
6. 過去5千年間、幾分かの上昇下降はあったものの、社会は、さらに素晴らしい洗練を加えて技術的に熟連する方向に「発展」し続けた。
7. 以上すべての進化と発展の最終的結果として、現代の人類は「原始人」の祖先たちと比べてはるかに洗練されている。
私が『神の刻印』に取り組む間にしだいに悟り始めたことだが、過去の歴史の中には正統派の理論によって充分に説明されず、それに替わる仮説によっても等しく満足に説明のつかない例外や謎が、いったいどれだけ存在することだろうか。例えば、正統派の歴史家が正しいなら、聖書その他に記述される聖約の箱【アーク】が持つ奇妙な「力」は、民間伝承や筆記上の単なる空想の産物にすぎなくなる。エリコの城壁が崩れ落ちる一幕でそれが果たした役割や、アークから発せられたと言われる「声」や「閃光」、この箱に触れる者にはいつでも一撃をくらわせ死に至らしめるその悪行、アシュドドのペリシテ人に流行らせた「癌のような腫物」その他の奇跡の数々も、すべてはただ文学上の空想的発明であり、歴史的現実からは全くかけ離れているとされる。
確かにそうだったのかもしれない。
しかし、私を驚かせたのは、古代の情報源がアークに関して私たちに与える非常に一貫性ある説明から、考慮してもよいはずの別の可能性の調査を、誰も真剣に試みたことがないという事実だった。言うならば、アークはある種のテクノロジー装置だった可能性がある。歴史家たちは、アークがしたようなことが可能な機械を設計できる古代文明の存在を認めないため、この可能性は顧みられることはなかった。彼らは過去を十分に承知していると過信するがゆえに、そのような文明が存在していたなら、彼らがこれまで気づかないわけがないと、そのような提案を拒絶する。かくして歴史家たちは、そのような文明がかつて存在したことはないと結論を下し、これと相容れないいかなる範疇の証拠もすべて否定する。
『神の刻印』 第四章で説明した、アークはひとつのテクノロジーであるという論拠は、私がかつて示し中で最も確固たる主張ではないかもしれないことは、私もよく承知している。しかし、ここでのポイントは、それはいずれにせよ提示する価値があったということである。これらの章を書いた私の目的は、アークの不可解な属性や特徴(これはたくさんある)の一覧を読者に突きつけ、それらをすべて「空想的文学の発明」として片づけることがはたして合理的なのかどうか、あらゆる段階で問いただすことだった。アークが秘めていた力は失われた文明の忘れられた知識に由来するかもしれず、それはまあ、確かに何らかの人工遺物や道具であった可能性があると、私は主張した。
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