とっぴもない仮説と驚くべき可能性: 塹壕からの眺め

試行錯誤

ロバートとジョンおよび私が犯した「誤り」に多くの注意が注がれている。

もちろん、私たちは誤りを犯した!有史以前の失われた文明に関する私たちの仮説と有史時代の文明への衝撃は、その初期段階にあり、その誤りがすべて取り除かれるまでには、絶え間ない修正を恐らく何年も必要とするだろう。しかし、これは、そもそも私たちがこの仮説を発展させるべきではなかったということを意味するだろうか。私はそうは思わない。私たちはただただ傍観し、正統派の歴史家が満足な説明も提示できない例外事象や謎の数々を無視すべきだったのだろうか。やはり、私はそうは思わない。
左:ロバート・ボーヴァル, 
中央:グラハム・ハンコック,
右:ジョン・アンソニー・ウエスト
  


特定の例をあげるとするなら、もしギザの大スフィンクスに明らかに見られる水による浸食に対して、ジョン・ウエストが好奇心を寄せていなければ、その方がよかったのだろうか。この風化による特性は、最後の氷河期(それは有史時代のエジプト文明誕生の何千年も前のことである)に起きた大雨の際に生じたのかもしれないことを、彼は示唆するべきではなかったのだろうか。

もちろん、ウエストはこの問題を打ち切りにすべきだったと主張するのは愚か者だけ、すなわち、スフィンクスは紀元前2,500年に遡るとする正統派の学説に、犯しがたい確信を抱く空論家だけではなかろうか。最初からすべての可能性を除外するのではなく、そのような問題について自由に討議し、かつあらゆる方向性からの疑問と証拠を考慮に入れるのが最善であるのは、無論のことではなかろうか。

同様に、ギザの三つの大ピラミッドが描く配置パターンと、(ギザから南に見た場合の)オリオン座の三つ星ベルトのパターンとの間に存在する類似性に、ロバート・ボーヴァルはただ気づくべきではなかったのだろうか。あるいは、もしそれに気がついたとしても、彼がこの件の研究を進めていなければ、その方がよかっただろうか。この大ピラミッドの配置はとても偶然の一致ではありえないことを示さずにはおかない、非常に多くの証拠を、その著書 『オリオン・ミステリー』中で公に提示した彼は、ある意味で無責任だったのだろうか。彼はただこの情報を口外せず、波風を立てるたてるべきではなかったのだろうか。

私はそうは思わない。彼らを中傷する人々とは逆に、ウエストとボーヴァルが行った研究は強力な善の力であったと、私は信じる。彼らの研究は、過去に向けられた新しい寛容の精神と、幾時代を経た謎を探求する新たな機運を刺激した。文明の曙に関する正統派の歴史観は、世間に容認された通念と疑問を抱かれない仮定の中で身動きがとれなくなり、1990年代始めまでには錆びついて退屈なものとなり、創造性を失っていた。ただX教授やY博士がこうと言ったからといって、その方針に沿って道を継続し、何の挑戦も起こさないとしたら、それはいったい何のためだろうか。

したがって、私はこのすべての一部に加わっているたことを誇りに思う。過去に関して従来とは根本的に異なる認識を、私の著作が何百万の読者に提供できたことを誇りに思う。繰り返し強調しておきたいのだが、これに関わる私たちは、我々の研究に今後も多くの誤りを犯すだろう!つまるところ、新しい有益な科学的学説が、あるとき突然完全な形で出現するものだろうか。素晴らしい学説のほとんどは、数年に及ぶ実験と試行錯誤の結果である − まずい仮説は廃棄され、より良いものが徐々に補強されていくものだ。したがって、私たちの思いつきの中にはよいものも、あまりよくないものもあるだろう ― しかし、それらを進んで人前に出し、評価と批判を受けることによってこそ、実際に何が役立ち何がうまくいかないのか、どんな論拠が有力でどれが説得力に欠けるのか発見することができるのだ。

私自身の研究は進展しているし、私が誤りを犯したことを見つけた際にはそれを公に伝えている。長々しくなるが、私はここでその一例をご紹介したい。それは『神々の指紋』 と 『創世の守護神』(後者はロバート・ボーヴァルとの共著)の中で私が示した議論に関するもので、これは1998年にインターネット・ニュース・グループ『エジプト・ニュース』その他で批判を受けた。その主張は、大ピラミッドの「王の玄室」の上方、いわゆる「重力軽減の間(ま)」に描かれた象形文字の落書きは、19世紀に捏造された可能性があるというものだった。これに対する批判は、主としてマーティン・スタワーという名の紳士からで、それは充分論考に値し、私の分析における致命的な誤りを指摘していた。私は『エジプト・ニュース』その他広く読まれている多くのウェブサイト上で(引用されたNBリンクにデータはもう残っていないかもしれない)、次のように完全に自説を撤回した:

 ギザの記念建造物の古さとその意味に関して、グラハム・ハンコックからの声明文  1998年7月22日

 
私は『神々の指紋』、およびロバート・ボーヴァルとの共著『創世の守護神』(アメリカでの出版タイトルは『スフィンクスからのメッセージ』)の著者です。

話を続ける前に、この声明文に関心を寄せる方たちすべてに対し、まず、マーティン・スタワー氏のウェブサイト(http://www.dcs.shef.ac.uk/~martins/Pyramid/kogenesis.html).上に掲載された、私の研究に対する彼からの批判を一読されることをお勧めします。『エジプト・ニュース』上に掲載されたジョン・アンソニー・ウエストからマーティン・スタワー氏への公開状の方も、どうぞ併せてご参照ください。

1. Re:大ピラミッド内の王の玄室上方にある重力軽減の間に見られる「採石場でつけられた印」の象形文字; 私は本当に、ゼカリア・シッチンの捏造仮説を無批判に支持するという仕事をさせられていました。私はこの仮説を『神々の指紋』(1995年出版)および『創世の守護神(スフィンクスからのメッセージ)』(1996年出版)中で伝えていました。

2. ひとりの著者および研究者として、私は自身の研究が常に「進歩」することを望むものであり、それが墓の下に埋められることを望みません。以前に支持した仮説に疑問を投げかける新しい証拠に遭遇した場合、私はいつでも過去の過ちを認め、私自身の見解を修正する心がまえでいます。

3. ジョン・ウエストがスタワー氏に対する公開状の中で丁重にお伝えしたように、私は捏造仮説の有効性に関する見解を修正しました。重力軽減の間は現在、一般の立ち入りを厳重に禁止されており、中に入ることはきわめて難しい状況です。1996年の『創世の守護神』出版に先立って、私はそこを訪れる許可を得ることができませんでした。しかしながら、1997年12月、ザヒ・ハワス博士のお力により、私はこの部屋を調査して終日を過ごすことができました。私が見ることのできるものに制限はなく、明るい光の下でこの象形文字を綿密に検証する時間が十分に持てました。継ぎ目のいくつかに見られる石の割れ目は、この象形文字がはるか石組みをした当時の時代にまで遡ることを明らかにしました。石材ブロックがしかるべく組まれた後では、どんな「捏造者」も何とかしてそこに到達することは不可能だったでしょう− 各石材ブロックは何十トンの重さがあり、互いにしっかりと組まれて固定されていることを付け加えるべきでしょう。唯一の合理的な結論は、正統派のエジプト学者が既に長い間主張してきたものです。すなわち、この象形文字は正真正銘、古王国時代の落書きであり、それらは建造が始まる前に石材ブロックに描かれたものです。

4. 1998年、いや、実際にはそれ以前から、私はこの問題に関する見解を一般の講義で数回述べています。1998年9月に出された私の著作『天の鏡』(写真はサンサ・ファイーア)、およびこれに伴うテレビ・シリーズ「失われた文明の探究」で、私は同様に、大ピラミッド(少なくとそのほとんど)が第四王朝期に建造されたことを認めると、私の絶対的見解を明らかにしました。

5. これは突然の転向ではありません。『創世の守護神』の執筆中、私はまだ、この誤った捏造仮説を受け入れていましたが、ギザのピラミッドは第四王朝の建造物であるという正統派の学説に対しても、「採石場でつけられた印」の出所に関係なく、非常にオープンでした。ギザの記念建造物は紀元前10,500年の天空を記念して建造されたものであるという、『創世の守護神』の中心となる命題は、必ずしもすべての記念建造物がその時代に建造されたとの結論を下すものではありません。むしろ、私は『創世の守護神』の中でこう書いています、「大ピラミッドは紀元前2500年という時代と、何らかのきわめて強いつながりを持っているに違いない − これは事実、正統派のエジプト学者や考古学者たちが皆、大ピラミッドが建造されたと考える年代に近い」 それ以前の『神々の指紋』では、ギザの記念建造物の配置計画は紀元前10,500年に考案されたものかもしれないが、記念建造物そのものはその構築に8千年の期間(紀元前10,500年から紀元前2500年まで)を要したかもしれないことを示唆していました。私が指摘したのは、大ピラミッドの有名な通気口は、疑問の余地なく紀元前2500年の時代とのつながりを示す記念碑であり、通気口が通された建築水準は「紀元前10,450年にギザの建造物配置の計画を練ったのと同じ、歴史の長い教団による後世の作業」として説明可能かもしれない、ということでした。

6. ロバート・ボーヴァルと私は、過去5年にわたる共同研究で「ギザ仮説」を共に発展させました。私たちはそれを「ピラミッドはどれもただの墓にすぎない」という正統派の学説に代わる真剣な代案として提示したのですが、この仮説を一言で言うなら、ギザの三つの大ピラミッドと大スフィンクスは、天空にある黄泉の国デュアト(ファラオたちは死後に自分の魂がそこを旅するだろうと信じていました)の主要な星々のいくつかを象徴する建築上のモデルを形成し、その配置は紀元前10,500年の時代の春分の日の夜明けに現われた天空のそれである、というものでした。私たちはジョン・アンソニー・ウエストとロバート・ショックの地質学的発見を引用しながら、大スフィンクスとこれに関連する巨石構造物は、実際にはこのはるかなる太古の時代に建造されたのかもしれない、と主張し続けました。さらに、三つの大ピラミッドは概してスフィンクスよりはるかに最近の年代の建造によるもののようであり、その通気口が示す天体との整合性から、恐らくは(他のいかなる年代よりも)第四王朝期に位置づけられるべきである、とも主張し続けました。

7. しかしながら、私たちの仮説は最終的に、個々の記念建造物が製作された正確な年代を主張することも、あるいは思いつくことさえできません。最後に紀元前10,500年に現われたそのままに天空の領域ドゥアトを象徴した建築モデルは、天文学上の歳差運動周期と、それが長い期間には星の位置をどのように変更するかという知識を持つなら、それがどんな文明でも、いかなる時代においても(繰り返しますが、いかなる時代においてもです)理論上は設計可能でした。

8. 要するに、私たちが関心を寄せているのは、それがいつ建造されたのかということより、なぜそのようなモデルが構築されたのかということです。

9. 公式発言としてはっきり申しあげますが、私は、大ピラミッド(あるいは、少なくともそのほとんど)を建造したのはクフ王であると信じます。(ひょっとすると、地下の部屋や、この構造物の他の岩を切りだした一部は、もっと早い時代のものかもしれませんが)

10. 公式発言としてはっきり申しあげますが、私は、クフ王がピラミッドを自身の墓として建造したとは信じません。この記念建造物内で彼の名前が現われるのは、接近の難しい部屋に偶然残された「採石場でつけられた印」の形でしかないというまさにその事実が、彼がそのようなエゴに駆られる狂人ではなかったことを証明するでしょう。彼は別の目的のために − はるかに高尚で、はるかに神秘の目的のために − すべてを建造したのだと、私は思います。その他の詳細は、近々発行予定である私の著作『天の鏡』(翔泳社)(英国と米国では1998年9月末に出版)と、これに伴う連続テレビ番組「失われた文明の探究」(米国では1998年8月教育テレビ;英国では1998年9〜10月4チャンネル)の中でご提供します。

                                                        1998年7月22日
                                                        グラハム・ハンコック (イギリス、デボン)



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