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ギザの記念建造物の古さとその意味に関して、グラハム・ハンコックからの声明文 1998年7月22日
私は『神々の指紋』、およびロバート・ボーヴァルとの共著『創世の守護神』(アメリカでの出版タイトルは『スフィンクスからのメッセージ』)の著者です。
話を続ける前に、この声明文に関心を寄せる方たちすべてに対し、まず、マーティン・スタワー氏のウェブサイト(http://www.dcs.shef.ac.uk/~martins/Pyramid/kogenesis.html).上に掲載された、私の研究に対する彼からの批判を一読されることをお勧めします。『エジプト・ニュース』上に掲載されたジョン・アンソニー・ウエストからマーティン・スタワー氏への公開状の方も、どうぞ併せてご参照ください。
1. Re:大ピラミッド内の王の玄室上方にある重力軽減の間に見られる「採石場でつけられた印」の象形文字; 私は本当に、ゼカリア・シッチンの捏造仮説を無批判に支持するという仕事をさせられていました。私はこの仮説を『神々の指紋』(1995年出版)および『創世の守護神(スフィンクスからのメッセージ)』(1996年出版)中で伝えていました。
2. ひとりの著者および研究者として、私は自身の研究が常に「進歩」することを望むものであり、それが墓の下に埋められることを望みません。以前に支持した仮説に疑問を投げかける新しい証拠に遭遇した場合、私はいつでも過去の過ちを認め、私自身の見解を修正する心がまえでいます。
3. ジョン・ウエストがスタワー氏に対する公開状の中で丁重にお伝えしたように、私は捏造仮説の有効性に関する見解を修正しました。重力軽減の間は現在、一般の立ち入りを厳重に禁止されており、中に入ることはきわめて難しい状況です。1996年の『創世の守護神』出版に先立って、私はそこを訪れる許可を得ることができませんでした。しかしながら、1997年12月、ザヒ・ハワス博士のお力により、私はこの部屋を調査して終日を過ごすことができました。私が見ることのできるものに制限はなく、明るい光の下でこの象形文字を綿密に検証する時間が十分に持てました。継ぎ目のいくつかに見られる石の割れ目は、この象形文字がはるか石組みをした当時の時代にまで遡ることを明らかにしました。石材ブロックがしかるべく組まれた後では、どんな「捏造者」も何とかしてそこに到達することは不可能だったでしょう− 各石材ブロックは何十トンの重さがあり、互いにしっかりと組まれて固定されていることを付け加えるべきでしょう。唯一の合理的な結論は、正統派のエジプト学者が既に長い間主張してきたものです。すなわち、この象形文字は正真正銘、古王国時代の落書きであり、それらは建造が始まる前に石材ブロックに描かれたものです。
4. 1998年、いや、実際にはそれ以前から、私はこの問題に関する見解を一般の講義で数回述べています。1998年9月に出された私の著作『天の鏡』(写真はサンサ・ファイーア)、およびこれに伴うテレビ・シリーズ「失われた文明の探究」で、私は同様に、大ピラミッド(少なくとそのほとんど)が第四王朝期に建造されたことを認めると、私の絶対的見解を明らかにしました。
5. これは突然の転向ではありません。『創世の守護神』の執筆中、私はまだ、この誤った捏造仮説を受け入れていましたが、ギザのピラミッドは第四王朝の建造物であるという正統派の学説に対しても、「採石場でつけられた印」の出所に関係なく、非常にオープンでした。ギザの記念建造物は紀元前10,500年の天空を記念して建造されたものであるという、『創世の守護神』の中心となる命題は、必ずしもすべての記念建造物がその時代に建造されたとの結論を下すものではありません。むしろ、私は『創世の守護神』の中でこう書いています、「大ピラミッドは紀元前2500年という時代と、何らかのきわめて強いつながりを持っているに違いない − これは事実、正統派のエジプト学者や考古学者たちが皆、大ピラミッドが建造されたと考える年代に近い」 それ以前の『神々の指紋』では、ギザの記念建造物の配置計画は紀元前10,500年に考案されたものかもしれないが、記念建造物そのものはその構築に8千年の期間(紀元前10,500年から紀元前2500年まで)を要したかもしれないことを示唆していました。私が指摘したのは、大ピラミッドの有名な通気口は、疑問の余地なく紀元前2500年の時代とのつながりを示す記念碑であり、通気口が通された建築水準は「紀元前10,450年にギザの建造物配置の計画を練ったのと同じ、歴史の長い教団による後世の作業」として説明可能かもしれない、ということでした。
6. ロバート・ボーヴァルと私は、過去5年にわたる共同研究で「ギザ仮説」を共に発展させました。私たちはそれを「ピラミッドはどれもただの墓にすぎない」という正統派の学説に代わる真剣な代案として提示したのですが、この仮説を一言で言うなら、ギザの三つの大ピラミッドと大スフィンクスは、天空にある黄泉の国デュアト(ファラオたちは死後に自分の魂がそこを旅するだろうと信じていました)の主要な星々のいくつかを象徴する建築上のモデルを形成し、その配置は紀元前10,500年の時代の春分の日の夜明けに現われた天空のそれである、というものでした。私たちはジョン・アンソニー・ウエストとロバート・ショックの地質学的発見を引用しながら、大スフィンクスとこれに関連する巨石構造物は、実際にはこのはるかなる太古の時代に建造されたのかもしれない、と主張し続けました。さらに、三つの大ピラミッドは概してスフィンクスよりはるかに最近の年代の建造によるもののようであり、その通気口が示す天体との整合性から、恐らくは(他のいかなる年代よりも)第四王朝期に位置づけられるべきである、とも主張し続けました。
7. しかしながら、私たちの仮説は最終的に、個々の記念建造物が製作された正確な年代を主張することも、あるいは思いつくことさえできません。最後に紀元前10,500年に現われたそのままに天空の領域ドゥアトを象徴した建築モデルは、天文学上の歳差運動周期と、それが長い期間には星の位置をどのように変更するかという知識を持つなら、それがどんな文明でも、いかなる時代においても(繰り返しますが、いかなる時代においてもです)理論上は設計可能でした。
8. 要するに、私たちが関心を寄せているのは、それがいつ建造されたのかということより、なぜそのようなモデルが構築されたのかということです。
9. 公式発言としてはっきり申しあげますが、私は、大ピラミッド(あるいは、少なくともそのほとんど)を建造したのはクフ王であると信じます。(ひょっとすると、地下の部屋や、この構造物の他の岩を切りだした一部は、もっと早い時代のものかもしれませんが)
10. 公式発言としてはっきり申しあげますが、私は、クフ王がピラミッドを自身の墓として建造したとは信じません。この記念建造物内で彼の名前が現われるのは、接近の難しい部屋に偶然残された「採石場でつけられた印」の形でしかないというまさにその事実が、彼がそのようなエゴに駆られる狂人ではなかったことを証明するでしょう。彼は別の目的のために − はるかに高尚で、はるかに神秘の目的のために − すべてを建造したのだと、私は思います。その他の詳細は、近々発行予定である私の著作『天の鏡』(翔泳社)(英国と米国では1998年9月末に出版)と、これに伴う連続テレビ番組「失われた文明の探究」(米国では1998年8月教育テレビ;英国では1998年9〜10月4チャンネル)の中でご提供します。
1998年7月22日
グラハム・ハンコック (イギリス、デボン)
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