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とっぴもない仮説と驚くべき可能性: 塹壕からの眺め
与那国
最近、私はギザで過ごす時間が非常に少なくなった。新刊の調査には、世界中に散らばる海底遺跡の可能性がある場所へのダイビングも含まれる。これらのダイビングからサンサ・ファイーアが写した写真をいくつか、このウェブサイトのギャラリーの頁に掲載している。
私たちが直面している最も難しい謎は(それは同時にきわめて複雑なものでもあるが)、これらのとてつもない巨石構造物が人の手によって刻まれて造られたものなのか、あるいは、ただ自然の風化作用の結果としてそのように見えているだけなのか、どうやって判断すればよいかということである。それらが天然のものであるなら、その重要性は地質学的好奇心を超えることはない。しかし、人の手によるものである場合、究極的には、それらは先史時代に対する社会の認識に革命を余儀なくさせる潜在的可能性を秘めている。これは(言うも明かなことだが!)海面がその現在の高さに上昇する前に、それらが周囲の岩盤から刻まれて造られたに相違ないからである。ある場合には、これは少なくとも一万二千年前の時代であることをほのめかす。
これらの海底構造物は、ノアの大洪水以前の失われた文明の遺物なのだろうか ― また、それが世界中で見つかるということは、この有史以前の文明は、その破壊以前には世界規模の広がりを持つものだったということなのだろうか。
そのような考え方に対しては信じられないほどに強力な抵抗が存在する。一例が、多くの場合あまりにも臆病で、もしくは無能で、日本の与那国島に渦巻く危険海域でスキューバダイビングなどできないほど無知で怠惰であるにもかかわらず、その海底構造物は純粋に天然の地質学的現象であり、人の手など全く加わっていないと断言する人々である。同じことが、与那国に来て4回か5回ダイビングしただけで、この構造物は自然の産物であると再び宣言しては去っていく、私が呼ぶところの「ツーリスト学者」にも当てはまる。
後者の最近の例が、ドイツの地質学者ヴォルフ・ヴィヒマンである。彼はこの夏与那国で、合計でたった三度のダイビングを行ない、そしてシュピーゲル誌(1999年34号)上で「人工のものなど何も見つからなかった」と宣言した。
ここに、シュピーゲル誌に掲載されたヴィヒマンの「遠征」話をご紹介する−
どこにもたどりつかない階段
日本のすぐ沖合で見つかった、1万年来の海底の岩のモニュメント! − ひょっとして、これまで未知の超文明の遺物?
遠征の船は、日本の南の島、与那国近海の明るく青い空の下に錨を下ろした。ハンブルク近郊ジーフェタクの大学で修士課程にある地質学者ヴォルフ・ヴィヒマンは、合成ゴムのダイビング・スーツを何とか着込むと、ベルトにハンマーと1フィート尺を差し込んだ。そしてこの岩石のエキスパートは、故郷からゆうに九千キロメートルは離れた海中へと飛び込んだ。
潜るなり、この専門家が見いだしたのは、全くSF映画そのままの巨大な山塊に直面している自分自身だった。彼の下には階段付きのタワーがそびえ、その高さは海底から約25メーターはあった。ダイバーは海藻で覆われたプラットフォームやテラスを泳ぎ去ると、一登りの階段と巨大な岩の塊を検査した。それらはあたかも石切り用の鋸(のこぎり)で切断されたかのように見えた。
その日本の領海に横たわるのは、いったいどんな種類の異質の建造物なのか。世界で最も古い構造物?太平洋のアトランティス?考古学の歴史で最も偉大な発見のうちの一つ?この謎のモニュメントが、ここ数か月続く騒ぎと報道撮影のフラッシュの原因だった。
この砂岩ブロックは長さ約200メーターで、最も高い高台は海面から約5メーター下に沈んでいる。専門家によれば、この構造物は1万年以上をかけて海中へゆっくりと沈んでいったに違いないとのことだ。
このピラミッド群は、今を遡ること1986年、スキンダイバー新嵩(あらたけ)喜八郎
によって発見された。海底地図を作成している間に、彼は島から250メーター離れた場所でこの巨大な岩の塊を発見した。その側面は「城壁」のようにそびえていた、その構造物は「インカの神殿」のように見えたと、このダイバーは語っている。彼は「畏敬の念」にとらわれた。「私は何か超自然的なものを見ていると思った」
1万年前、実際にそこに何かが存在したのかもしれない。原始的な狩猟採集生活者が日本の海岸を歩き回っていた頃だ。そうすると、誰がこの途方もない構造物を造ったのか。
日本の海洋学者に手掛かりはない。「天然の何かではありそうもない」と東京の海洋学者、石井輝昭は言った。琉球大学の海洋研究者、木村政昭は、これは一つの「傑作」であると語っている。彼は、この砂岩は技術的に高度な能力を有するこれまで未知の「新しい文明」によって構築された、神聖な建造物であると考えている。しかし、どの文明の?
東洋で進行中の議論が西洋の好奇心に火をつけた。透視能力を持つ人々が、魔法のようにこの「遺跡ポイント」に引きつけられた。1998年初頭、地質学者ロバート・ショック(この人物は、スフィンクスがアトランティス人によって建造されたと信じている)がこの遺跡に潜り、これは「非常に興味深い」ものであると宣言した。古代遺跡の教祖的存在でありベストセラー作家でもあるグラハム・ハンコックも、この遺跡を調査していた。潜水艇で一度遠征した後、彼は、このモニュメントの基底部に「明らかにそれと分かる通路」
を見ることができると記している。
しかしながら、岩石のエキスパートであるヴォルフ・ヴィヒマンには、そのような結論を確証することはできなかった。シュピーゲルTVからやって来たチームの一団とともに、高波をものともせず、彼はこの沿岸一帯の調査に戻っていった。合計で三度のダイビングで、彼は岩のサンプルを集め、階段と「壁」を測定した。自分自身の目で確かめてみて、彼は納得しなかった:「人工のものなど何も見つからなかったよ。」
調査の間に、新嵩が言うところの「巨大な神殿」は、ただ自然に生成された層状の岩であることが明らかにされた。この砂岩はそこらじゅうに垂直や水平の割れ目がついている。壁のようにそそりたつ垂直性と階段は、この割れ目から徐々に進展したものだ。頂上の高台は、ヴィヒマンによれば典型的な「浸食された平(ひら)地」であるとのことだ。「層状の岩がちょうど波の洗う通路に位置する場合、このような平坦な場所が生じるのさ」
詳細と対比に豊む暗示的なイメージは、確かに他の何かを啓示するのかもしれないが、しかし、概して、この巨大な岩の塊には建築上のデザインの徴候もなく、ただ砂の海底から屹立する構造物のように見える。高台には勾配のある区画があり、また、垂直の壁はなく、階段のいくつかはどこにも通じていない。他の階段は螺旋状で、急勾配の雌鶏の止まり木に似ている。
これらの石のブロックは、機械的作業の痕跡を何も示さない。「もしこれらの『切り石』が何かの道具で切り出されていたならば、縦溝や刻み目や引っ掻き傷がそれらに点在していただろう」ヴィヒマンは語った。「木村が柱の基礎と呼んだ、頂上の高台にある丸い三つの陥没は、単なる『穴』である。水が狭い空間を通って洗う場合、このようなものが生じる。」
以上のような事実は、現在のミステリー・フィーバーの流行を止められない。与那国のモニュメントは暫くの間、考古学的夢想家が描く世界のイメージに重要な役割を果たした。「チーム・アトランティス」はインターネット上で大胆にもこう公言した:「我々は石のアーチでできたアーケードの入り口にいる我々自身を見いだした」 他のウェブサイトでは、この断崖は「広い遊歩道が巡る儀式の中心地で、側面が塔門で守られている」ことになっている。
海洋学者の木村は、さらなる探索の結果さえも踏まえてそのような提案を支持する。沖縄近海のこの島の周辺海域に、彼は別の遺跡さえ発見した。海藻が繁茂する円錐形の岩や瓦礫は「神殿の部屋や祭壇と大通り」となる。
マスコミは、この戯言(たわごと)めいた解釈の片棒をかつぐことを切望している[シュピーゲル誌とシュピーゲルTVは例外だとは思うが]。日本の与那国は、原始時代、長い間世界の中心で、未知のメッカだった − 醸造業者と日本航空が、この極東の水面下に沈むバビロンに便乗する。CNNやチャンネル4のテレビ・キャスターは、カメラ・チームとともに既にそこを訪ねていた。今、BBCの専門家が、これらの伝説の深奥を推し測ろうとしている。
人々によるこの派手な宣伝を見て、与那国の地元民はかなり喜んでいる。モニュメントの発見者である新嵩喜八郎
は、彼の故郷であるこの小さな島へ観光客が押し寄せてきたことに満足している。「誰もがここを訪ねてくれて、それも外国人までやって来て、私は嬉しい!」と、この探検家はにこやかに微笑む。
しかしながら、この郷土愛的気分の高揚に利己心が皆無というわけではない。新嵩喜八郎はこの島で大きなダイビング・ショップを経営し、彼の両親はそこにホテルを所有している。
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